大阪中之島美術館 《モディリアーニ展ー愛と創作に捧げた35年ー》を観た感想
こんばんは、夏みかんです🍊
先日、大阪中之島美術館で開催している「モディリアーニ展」に行きました。
中之島美術館は今年春にできたばかりの美術館で、モディリアーニ展はその開館記念の特別展として開催されていました。
今回は私の簡単な感想を書いていこうと思います。
すでに見に行った方も思い出しながら一緒に見ていただけたら幸いです🥰
《おさげ髪の少女》との出会い
1918年《おさげ髪の少女》個人蔵
実はこの展覧会、4月から開催されていて気になっていたんです。新しく建てられた中之島美術館は私のミーハー心をくすぐるものでもありましたので笑
でも私が展覧会に行こうと腰を上げたのは7月。
言い訳をしますね。
私は4月から大学院に進学したのですが、そこで課題やバイトに追われていたことに加え、モディリアーニについてはピエロが襲ってくるホラー映画「IT」の作中に出てくるような不気味な絵画の印象があり、なかなか足が進まなかったのです。
目が水色とか黒とかで塗りつぶしてあるのがほんとに怖かったんです…
でも、いざ展覧会を見てみるとある一枚の絵に出会いました。それが《おさげ髪の少女》でした。
めっちゃ明るい色彩!全然怖くない!
この絵はモディリアーニが晩年に描いた作品みたい。
この絵の他にも当時は子どもの絵をたくさん描いてます。
モディリアーニは愛する妻との間に生まれた娘と当時描かれた子ども達を重ねていたのかもしれないですね。。
モディリアーニは娘をめっちゃ溺愛してたようですが、なんだか普通にお父さんみたいでなんだか安心?しました。
モディリアーニの生涯
ところでモディリアーニは画家の中でもかなりイケメンであることを断言します。
アメデオ・モディリアーニ(写真)
ね!現代だとインスタグラムのフォロワーめっちゃ多そうだなって感じですよね!
彼はこの美貌ゆえに当時「モンパルナスの貴公子」と呼ばれたくさんの女性と関係を持っていたようです。
そんな彼についてここで少し紹介しておきますね。
今から138年前ですね!日本だと明治時代!板垣退助が自由民権運動とかをおこなったあたりですね!
幼少の頃は、彼と仲の良かった母方のおじいちゃんに芸術や津学について教えられたと言われています。
そこから14歳で風景画家のグリエルモ・ミケーリに絵を習い、1906年1月、フランスのパリへ移住。アカデミー・コラロッシ(私立の美術学校)に入学し仲間と絵を競いました。
モディリアーニはこのあたりでパブロピカソ、ポールゼザンヌ、藤田嗣治らと交流していたことが分かっています。
晩年彼は、アカデミーコラロッシでジャンヌ・エピュテルヌと知り合い、同棲を始めます。ここまでは順風満帆なようにみえますね。
しかしその後、病弱なモディリアーニは肺結核を患いわずか35歳で亡くなってしまいます。ジャンヌと同棲し始めてわずか二年の出来事でした。
この事実に耐えられなかった妻のジャンヌが2日後、窓から飛び降り自殺するお話は有名です。彼女にとってモディリアーニのいない世界は意味がなかったのでしょうね。。
全体の感想
最終日近くに行ったのでかなり人が多く、自分のペースで見ることが出来なかったのが心残りですが、モディリアーニの代表作を間近で見る非常に貴重な経験が出来ました。エコールドパリの作品に関しては全く詳しくなかったので、この展覧会を機にエコールドパリの作品に興味を持つきっかけにもなりました。