文系大学院生の憂鬱
文系大学院生の苦悩(パート1)
はじめまして。
私は大学院で芸術学美術史を学んできた夏みかん(24歳女)
専攻テーマは『ロココ美術』でした。
そして2023年春から東京と京都を巡回していたルーブル美術館展の目玉にもなっていた、フラゴナール《閂》で修士論文に挑みました。。
(フランス語はおろか英語もまともに読めない私にはまだ早かった。)
ジャン・オノレ・フラゴナール《閂》
(1777年-1778年)74×94cm
油彩、キャンバス、ルーブル美術館 所蔵
こんな私でも先日やっと修士論文を出せて一安心。
ということで、今回は文系大学院進学を決めた理由や実際に大学院に通ってみた感想をを述べていきたいなと思います。
就職か院進学か悩んでいる方は是非みてみてください。
院進学した理由
理由として端的に言うと『学芸員』という資格と夢を諦めきれなかったからです。
時は大学三年の夏、インターンシップだとか早期選考という言葉が飛び交うようになる時期。例に漏れず私も就職活動をしていました。
しかし、やりたいこともなく就活することに大きなストレスを抱えていた私。。
大学へは『学芸員』を夢見て大学に来たのに、学芸員資格もとらずにこのまま中小企業の事務員になるのがほんとに幸せな道なのか。。
悩んだ結果、当時の彼氏の「大学院行けば良いじゃん。やらない後悔よりやる後悔だよ」という言葉や、同じゼミの子が院進学を決めたという話をきっかけに院への進学を決めました。(学費は祖母が出してくれることになりました。本当にありがとう。。)
大学院に進学した感想
私はある私立大学の文系大学院に内部進学しました。
卒業に必要な単位は32単位で、基本的に1年生で取りきることに成功しました(結構大変だった)
大学院は単位も比較的取りやすく、学芸員の資格取得に必要な科目も取り切り、自分が関心のある授業を受ける日々は楽しく充実していました。
しかし1つ問題が。
友達が出来ない!!!
授業は毎度おなじみのメンツで、芸術系の授業は同じゼミのメンツしかとらない。
となると、閉鎖的な人間関係がつづき全く人間関係が広がりませんでした。。
加えて、2年生からは就活や修論でほぼ授業にも行かず個人作業がメインになるので、個人作業が増えていき広がるどころか減る一方。
孤独感がすさまじかったです(個人プレイが元々好きな人でもほんとに辛くなるかもです)
文系大学院生の就活事情やその他の感想については次回に回します!終わり方暗くなっちゃってちょっと反省。。。
読んでくださった方ありがとうございました!!
~THE GREATS~美の巨匠たち~ を観た感想
今回訪れたのは「THE GREATS展」です!
場所は、神戸市立博物館!
この特別展はスコットランド国立美術館所蔵の作品を数多く見ることが出来るようでした!
実は今回の展覧会、私のお気に入りの画家ブーシェの作品があるということで、行く前からわくわくが止まりませんでした!
ブーシェについて知らない方のために簡単に説明しておくと、ブーシェは今から300年前のフランスで活躍した画家です。
作風は、とにかくかわいい!
どこかふわふわしていて、ピンクや水色など色鮮やかなパステルカラー
で男女の恋愛を描く事が多かったブーシェは、当時一躍人気の画家でした。
一般的に彼が活躍した時代をロココと呼びました。
では、ブーシェの作品を中心に今回私の印象に残った絵を振り返っていきます!
圧巻のナイアガラ!
わくわくしながら、いざ入場したところすぐ左手におおきな滝が!
思わず水しぶきがかかっちゃうのでは!?と思うくらい圧巻のその作品は、フレデリック・エドウィン・チャーチが描いた《アメリカ側から見たナイアガラの滝》という作品です。
そのサイズ、2m57cm×2m27cm!!でかい!
この作家さんは19世紀頃活躍した、アメリカの風景画家だそうです。1867年にパリで開催された万国博覧会に出品するために制作されたみたいです!
特徴的!エル・グレコのキリスト
お次は少し進んだ奥におわせられましたキリストの図像についてです。
題名は《祝福するキリスト「世界の救い主」》で、右手を緩いピースの形にして、左手を球体に置かれたそのお姿はなんだかこちらを不安なような奇妙なような気持ちにさせます。。
彼の作品はこの作品にも現れているように、強い明暗、色彩のコントラストが特徴です。また体は引き伸ばされ、わざとらしいポーズも特徴の一つです。
ところでマニエリスムってなに?
という方に簡単に説明しますと、16世紀中頃から末頃にかけてイタリア中心にみられたルネサンス美術を模倣した特徴を持つ絵画です。
ただ、完全に模倣したわけではなく明暗やポーズなど様々な部分を極端に表すことで個性を出していきました。
これは後に、バロック美術へと繋がっていきます。
上記を踏まえてもう一度作品を見てみると、極端な表現という部分ではエル・グレコの作品は完全にマニエリスムに当てはまっていますよね。
彼の作品は、美術展などで最も見つけやすい作品の一つです。
皆さんもよく似た絵画を見つけたら、エル・グレコを思い出してくださいネ。
きたぞ!我らがロココの巨匠ブーシェ!
第一展示室を見終わり、階段を降りて下の階へ。
「ふぃー、ちょっと肩こってきたな」とか考えながらまっすぐ第二展示室に足を踏み入れたところ、はい、きましたブーシェです。
もう見た瞬間分かりました、はい。
作品はブーシェ《田園の風景》「愛すべきパストラル」「田舎風の贈り物」「眠る女庭師」という題名です。
サイズはおよそ2m31cm×93cm!!
待ちに待った彼の作品の第一印象は、、、
でかい!そして美しい!でした。
創造よりかなり大きいんです。この作品。
そして、事前のパンフレットなどに掲載されている写真よりもかなり色がはっきりしていて、とっても明るい!
本当に現世を忘れてこの絵の中に飛び込みたい衝動に何度駆られたことか、、。
さらによく見るとふわっと置かれた筆の形も見つけられたりするんです!!
もう見た瞬間ぶわっと享楽的でひたすら華やかな美が巨大なキャンバスから押し寄せてきて、興奮が止まりませんでした。
最高でした。神戸市立博物館様ありがとうございます(陳謝)
私の感想ばかりになりそうなので、作品ことを少々お話ししておきますね。この作品には、何の脅威もない豊かな自然の中で羊飼いや庭師達が若い女性に花を贈り誘惑している場面が描かれています。
このように、牧歌的な自然の中で男女が戯れているという主題は、ブーシェの芸術を象徴するものといえます。
ロココが流行した当時、彼の作品は非常に人気を博したと言われています。
感想
今回の展示会はとても見応えのある展示であり、個人的に非常に満足でした!!
今回、大学生の私は900円で見ることが出来ましたが、一般では1800円と少々お高めになっています。前売りで購入すると少しだけお得になるみたいです!
この展覧会は神戸会場が今月25日まで、北九州会場では10月4日から11月20日までの開催になっております。(神戸会場はぎりぎりですね😑)
皆様も是非見に行かれてはいかがでしょうか!!!
大阪中之島美術館 《モディリアーニ展ー愛と創作に捧げた35年ー》を観た感想
こんばんは、夏みかんです🍊
先日、大阪中之島美術館で開催している「モディリアーニ展」に行きました。
中之島美術館は今年春にできたばかりの美術館で、モディリアーニ展はその開館記念の特別展として開催されていました。
今回は私の簡単な感想を書いていこうと思います。
すでに見に行った方も思い出しながら一緒に見ていただけたら幸いです🥰
《おさげ髪の少女》との出会い
1918年《おさげ髪の少女》個人蔵
実はこの展覧会、4月から開催されていて気になっていたんです。新しく建てられた中之島美術館は私のミーハー心をくすぐるものでもありましたので笑
でも私が展覧会に行こうと腰を上げたのは7月。
言い訳をしますね。
私は4月から大学院に進学したのですが、そこで課題やバイトに追われていたことに加え、モディリアーニについてはピエロが襲ってくるホラー映画「IT」の作中に出てくるような不気味な絵画の印象があり、なかなか足が進まなかったのです。
目が水色とか黒とかで塗りつぶしてあるのがほんとに怖かったんです…
でも、いざ展覧会を見てみるとある一枚の絵に出会いました。それが《おさげ髪の少女》でした。
めっちゃ明るい色彩!全然怖くない!
この絵はモディリアーニが晩年に描いた作品みたい。
この絵の他にも当時は子どもの絵をたくさん描いてます。
モディリアーニは愛する妻との間に生まれた娘と当時描かれた子ども達を重ねていたのかもしれないですね。。
モディリアーニは娘をめっちゃ溺愛してたようですが、なんだか普通にお父さんみたいでなんだか安心?しました。
モディリアーニの生涯
ところでモディリアーニは画家の中でもかなりイケメンであることを断言します。
アメデオ・モディリアーニ(写真)
ね!現代だとインスタグラムのフォロワーめっちゃ多そうだなって感じですよね!
彼はこの美貌ゆえに当時「モンパルナスの貴公子」と呼ばれたくさんの女性と関係を持っていたようです。
そんな彼についてここで少し紹介しておきますね。
今から138年前ですね!日本だと明治時代!板垣退助が自由民権運動とかをおこなったあたりですね!
幼少の頃は、彼と仲の良かった母方のおじいちゃんに芸術や津学について教えられたと言われています。
そこから14歳で風景画家のグリエルモ・ミケーリに絵を習い、1906年1月、フランスのパリへ移住。アカデミー・コラロッシ(私立の美術学校)に入学し仲間と絵を競いました。
モディリアーニはこのあたりでパブロピカソ、ポールゼザンヌ、藤田嗣治らと交流していたことが分かっています。
晩年彼は、アカデミーコラロッシでジャンヌ・エピュテルヌと知り合い、同棲を始めます。ここまでは順風満帆なようにみえますね。
しかしその後、病弱なモディリアーニは肺結核を患いわずか35歳で亡くなってしまいます。ジャンヌと同棲し始めてわずか二年の出来事でした。
この事実に耐えられなかった妻のジャンヌが2日後、窓から飛び降り自殺するお話は有名です。彼女にとってモディリアーニのいない世界は意味がなかったのでしょうね。。
全体の感想
最終日近くに行ったのでかなり人が多く、自分のペースで見ることが出来なかったのが心残りですが、モディリアーニの代表作を間近で見る非常に貴重な経験が出来ました。エコールドパリの作品に関しては全く詳しくなかったので、この展覧会を機にエコールドパリの作品に興味を持つきっかけにもなりました。